温・故・知・新 漆、九千年の伝統を継ぐ

巻頭特集 温・故・知・新 漆、九千年の伝統を継ぐ

約九千年前の縄文時代から連綿と続き、中世の西洋で漆器は「ジャパン」と呼ばれた、世界に誇る日本の漆文化。 しかし、国産漆の需要減、漆掻き職人の高齢化などで昨今、危機的状況を迎えている。 その日本古来からの伝統文化を後世に残そうと、奥久慈漆の栽培から工芸作品の創作まで 全ての技芸を継ぐ漆工房「荻房」の仕事を追った。

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漆の栽培から始まる「荻房」の作品づくり

 真夏の太陽が照り付け始めた、8月上旬の早朝。風光明媚な茨城県常陸大宮市の各地で、漆掻きの最盛期を迎えていた。 期間は毎年6月上旬から10月頃。日中は蒸散で木の水分が失われるため、漆があまり採れない。だから早朝と夕方が勝負の時間だ。採取方法は、樹齢10年程の木をシーズン中、掻き続け、最後は切り倒すという「殺し掻き」が一般的。梅雨明けからお盆前のピーク時でも、一本の漆の木から取れる一日の量は、わずか10g程度。合計でも約180ccしか採れない。これが昔から「漆の一滴は血の一滴」と言われる所以だ。職人達は頬を伝う汗も拭わず、貴重な漆のしずくを黙々と集めていた。

 茨城県北西部、福島県南部地方は「奥久慈」と呼ばれ、圏内にある常陸大宮市(旧山方町)付近は、岩手県浄法寺町に次ぐ日本第2位の漆の生産地。透明度が高く、艶やかな光沢がある「奥久慈漆」は全国的に評価が高い。

 「今日は少し水分が少ないようですね」。長年この漆を作品に愛用してきた漆工芸家の本間幸夫氏は、次男で木地職人の健司氏が掻いた漆の品質を作家の眼でじっくりと確かめていた。

 約9千年前の縄文時代の副葬品と共に漆工芸が出土するなど、古来から日本には漆文化が脈々と受け継がれてきた。しかし国産漆は現在、危機に瀕している。中国産の安価な漆により日本産の漆の需要が減り、漆林は荒廃、漆掻き職人は育たず高齢化の一途を辿るという悪循環が起きている。その結果、国産漆は全体のわずか2%にまで落ち込んでいる状況だ。 「奥久慈漆には長い伝統もあり、その素晴らしさを良く分かっている。本当に良い漆を後世に残せるように、周りの農家、漆掻きの方、関わる全員が良くなるような、新たな共存の形を模索していきたい」。

 都内で漆工房「荻房」を主宰する幸夫氏と奥久慈漆の出合いは1979年。それから手クロメによる精漆を続け、1992年に旧山方町(現常陸大宮市)で自ら漆林を造成。1997年には漆工芸家仲間と共に、年に1キロの国産漆を購入して、若手の漆掻き職人の環境、需要などを支え続ける「壱木呂の会」を設立した。1998年には奥久慈漆の活性化を目指し、町の協力を経て、一般を対象に漆教室を開設。様々なアプローチで国産漆の復興を目指して精力的に活動を展開した。そして2000年、漆の栽培から手入れ、樹液の採集、精製、木地制作、漆塗の下地など手掛ける「奥久慈工房」を新設。本間氏の技巧を継承する長男の重隆氏も在籍し、漆塗の仕上げである「上塗り」などを専門に施す「東京荻窪工房」。そして健司氏が居を構えて制作に取り組む「奥久慈工房」。その二拠点で漆の栽培から漆工芸品を一貫して創作する、稀有な工房を実現した。「例えば兄に『乾きが速くて艶のある漆』と注文されたら、漆を掻く期間を臨機応変に空けたりと、塗り手へオーダーメイドの漆を提供出来るのも、うちの強みですね」と健司氏。息子達、スタッフの連携で、独自の漆工房スタイルを確立していった。

本間 幸夫[ほんま ゆきお]

本間 幸夫[ほんま ゆきお]

漆工芸家。「荻房」主宰。日本産漆を支援する「壱木呂の会」代表。奥久慈漆生産組合顧問。 東京都杉並区在住。木工芸彫刻家の柴﨑始氏、漆工芸家で人間国宝の赤地友哉氏に師事。 1979年に奥久慈漆と出合い、92年、茨城県常陸大宮市(旧山方町)に漆林を造成。後に奥久慈漆の栽培から作品制作まで一貫した独自の工房スタイルを確立。奥久慈漆と自然な樹皮の造形美を玄妙に融合させた作品が国内外で高い評価を得ている。作家活動の他、日本産漆や関連する技術の保存、継承など啓蒙運動にも精力的に活動中。
WEBサイト http://www.ogibo.jp/class/

荻房を主宰する漆工芸家の本間幸夫氏。常陸大宮市に自らの漆林を造成してから今年で20年。

「奥久慈工房」のスタッフは健司氏を含めて3名。浄法寺、会津、新潟など様々な地方の漆掻き職人から技術を学んでいる。

管理する漆林は約350本。今年は70本弱を採取。天気や木の状態を注意深く確かめて、掻く日時を決める。

漆掻きの道具。写真左から、樹皮を削る「鎌」、漆を入れる「タガッポ」、漆を掻き取る「へら」、木に傷をつける「掻き鎌」は岩手で「かんな」と呼ばれる。