硯を造ることを生業とする者が、日本に、あるいは世界に何人いるかなんて分からない。ただひとつ言えることは、佐藤岱山氏が作硯家で、茨城県北部の"大子"で、創作活動を続けているということ。もちろんそれには理由がある。大子の自然が育んだ黒色粘板岩という岩が、極めて作硯に向いていたのだ。

建設会社役員からの転身師匠と大子硯の魅力にホレて…

佐藤岱山氏(本名・佐藤弘)が茨城県北部にある大子町という小さな町に硯工房を構えたのは平成12年のこと。
茨城県取手市で建設会社の役員をしていた佐藤氏が、硯(すずり)を造ることを生業にしようと考えたのは、ちょっとした巡り会いからだった。

建設の仕事で腰を悪くし、湯治のため訪れていたのが大子町だった。
暇を持て余していた平成2年のある日、テレビ番組でたったひとりの国寿石大子硯の継承者、作硯家・星野岱石(ほしのたいせき)氏のことを知る。
ちょうどその頃、妻である清子さんが習字を習い始めたこともあり、興味を持った佐藤氏は、その日のうちに後の師匠となる星野氏の元を初めて訪れた。
星野氏は柔和な人柄で、突然の来訪にも関わらず、国寿石大子硯の良さや作硯工程を丁寧に説明してくれた上、体験彫りまでさせてくれた。
厳しい建設業の世界で生きて来た佐藤氏にとって、この体験は新鮮だった。そして3日間かけて自らが作硯した硯を清子夫人にプレゼントする。
佐藤氏は今でも感激した清子夫人の顔をはっきりと瞼に浮かべる事が出来るそうだ。以来、星野氏の作業場へ通い続ける日々を送ることとなる。

事実上、星野氏の元へ弟子入りを果たした佐藤氏は、本業である建設業の暇を見つけては作硯に励み、時間を見つけては師匠がいる大子町に通い教えを請うた。
平成4年に最愛の妻である清子夫人が他界するという苦難があったが、それでも佐藤氏は作硯と大子通いを止めなかった。
修業を重ねた平成12年のこと、師匠である星野氏が「大子硯の後継者にならないか」と持ちかけてくれた。佐藤氏は迷った。迷いながらも建設業を辞し、大子町に移住する事を決意する。
理由は「師匠の人柄と大子硯の魅力にホレてしまった」から。そして平成13年に師匠から「岱山」の号を与えられた佐藤氏は、作硯家・佐藤岱山として独立。国寿石大子硯の正式な継承者として歩み始め、

囲炉裏のある休憩スペースと仕事場。ちょっとした高台にあるので、仕事場から四季折々の表情を見せる大子の里山を一望できる。

日本三大名瀑のひとつ「袋田の滝」のすぐ近くに、住居も兼ねる佐藤岱山氏の硯工房がある。

山の起伏をうまく利用した個性あふれる工房だが、全て岱山氏の手によるもの。

佐藤 岱山 さとう・たいざん

昭和22年 秋田県鹿角市生まれ。
昭和48年 茨城県取手市に大利根建設株式会社を設立。
平成2 年 作硯家・星野岱石氏に師事。
平成12年 建設会社を辞し、茨城県大子町に硯工房を開設。
平成13年 星野氏より「岱山」を拝命、国寿石大子硯の継承者となり、現在に至る。