いばらき一所、けんめい。

次の日が来るのが待ち遠しい。
毎日、山の色が違うんだ。

「一生懸命」の語源は一所懸命。鎌倉時代の武士が主人から賜った土地を命懸けて守ってきたことに由来します。私たちの暮らす茨城でも、この大地に根ざして、時には人の世の荒波と対峙しながら、心豊かにすばらしい人生を築かれた先輩がたくさんいます。今回お訪ねした大子町在住の先輩は、大震災の影響で自宅工場を閉鎖する憂き目に遭いながら、心機一転、少年時代からの憧れだった「山の仕事」に従事されています。奥久慈大子の自然と人々の笑顔に彩られた、とある先輩の花咲く人生をみなさんと一緒に伺ってまいりましょう。

大子の街を見届ける見事な大文字の桜。
その花咲かじいさんを訪ねて

菊池 余四男さん
77 歳

茨城の西北端に位置する久慈郡大子町。街の中心を流れる久慈川の岸に出ると、山の中腹に大文字に植樹された桜が目に留まります。春の花、秋の紅葉、冬の樹氷と、この地に暮らす人々や観光客を楽しませるこの大文字の桜。じつはその立役者に二人の紳士と仲間たちがいました。一人はこの山の所有者である海老根瞳さん。大子町町議会を五期当選し、町議会議長も勤めた街の名士です。もう一人は今回の主人公である菊池余四男さん。大子で生まれ育ち、現在は海老根さんの元で山の管理に従事されています。物語はまずお二人を訪ねることから始まります。「大子町の大です。アイデアは京都の大文字焼き。でも火をつけるわけにはいかねぇから、はぁ桜を植えっちゃいました(笑)」
そう話すのは山の所有者である海老根さん。昔からスギとヒノキの植林が営まれた大子町は戦後になると花粉の猛威に晒されました。春になると街は黄色い霞に覆われるほどだったとのこと。議員を引退後、海老根さんは私財を投じて街の中心にそびえる太郎山を購入し、「大子に森を創る会(会長・佐藤一美氏)」の皆さん(11名)と生物多様性の豊かな雑木林づくりを手がけています。

海老根 瞳さん(71歳)

そして、日頃からその植林事業に従事しているのが菊池余四男さんです。「私は山さ入るのが大好きなんです。といっても昭和十五年生まれの七十七歳。この歳で使ってくれのはありがたい」東日本大震災によって自宅の螺旋管製造工場をたたんだ余四男さんは、大子に森を作る会の仲間たちと共に桜を植え続けてきました。「私一人じゃできません。菊池さんや仲間が手伝ってくれてっからできたんですよ」海老根さんのねぎらいに帽子を取って会釈する菊池さん。人生のベテラン期に差しかかってなお、互いの労苦を称え合うお二人の姿勢に、尊敬の念を感じずには入られませんでした。

海老根さんの自宅庭。山に生えているめずらしい木々が植えられている。探してきたのはもちろん菊地余四男さん。

昭和十五年生まれの菊池余四男さんは、旧大子一高の林業科に進学するも憧れていた林野庁の試験に不合格。食べていくために日立市の工場へ就職します。その時に学んだ工場運営の知識を得て、三十歳前にして大子町の自宅に小さな工場を建てて独立。以来、奥様と三人のお子様を養ってきました。ところが時代はやがて円高不況に。新興国の輸入品に押されながらも朝から晩まで人一倍働きながら安い単価についていったそうです。

この時代に生きる私たちにとって忘れることのできない年。余四男さんの自宅工場は3月11日のまま、止まった。

そしてあの3・11。最終納入先だった東海村の原子力発電所が稼働ストップし、その日を境に36年間営業していた余四男さんの工場は止まってしまいました。「震災のときは今でも覚えてます。鋼管の山がばらんばらんになっちゃって、命からがら無我夢中で裏庭の金木犀の木にしがみついていました」今では倉庫として使われている余四男さんの工場を訪ねました。カレンダーは2011年の3月のままです。当時七十歳を数えながら精一杯働いてきた余四男さんの強く太かった心を、未曾有の大震災がへし折ってしまいました。

訪れた転機とふたたび立ち上がる気概。
少年時代から憧れていた山へ入る喜び。

四十年近く続けた稼業を失って途方にくれていた余四男さんに、やがて転機が訪れます。そうです。冒頭で紹介した海老根さんの仕事のお誘いです。人の世のありがたみに感激した余四男さんは、ふと我に返って自分のくたびれた身姿を見渡しました。若い頃は柔道で鍛えた体でしたが見る影もなかったのです。「一緒に働かせてもらうにも太って老いぼれた体じゃ申し訳立たない。毎日自転車で沢までの坂道を行き来して体さ鍛えました。そして一年で十五キロ痩せて山さ入る体をつくりました」

自宅の裏には仕事のかたわら育んできた畑が。季節に合わせて自分たちの食べる分だけ植えるとのこと。写真は鶴首かぼちゃ。

また今まで小さいながら一国一城の主だった余四男さんは、当初わだかまりがあったようです。「最初はかっこ悪かった。初めの仕事は海老根さんの自宅の庭の手入れ。人が通る度に花壇に隠れて草むしりしてたんだ(笑)」それでも二ヶ月ほど経つと海老根さんの会社(土木建設業)の方々とも打ち解け、気持ちが落ち着いたようでした。「つまんない意地張らない。人が影で笑ってるなんておもっちゃいけない。近くの作業場で働く障がい者の人らが優しく声かけてくれるんだ。暑いから気をつけてって。通りすがりのじいちゃんばあちゃんとも懇意になった。ジュースもらったこともあんですよ」現在。余四男さんは毎朝五時半に起床し、奥様の弁当を携えて七時過ぎには海老根さんの自宅へ出勤するそうです。仕事場は大子町内の山へ入ることもあれば、那須にある海老根さんの別荘の手入れにも。若い頃から働きづくめでお酒もたばこもやらない余四男さんに、休日の過ごし方を尋ねました。「これが山さ入ることなんです(笑)。春は山菜、わらびやふきのとう。沢に下りてわさび。秋はきのこ狩りと自然薯掘り。カゴさめいっぱい拾ってくんですわ。東京や水戸の友だちとこさ送ってあげんです。歳取って山さ入れなくなった近所の人らにもおすそ分けします。後は海老根さんの欲しがってた木なんか見つけっと、その山の持ち主に交渉してもらってくんです」

奥様とのツーショット。外食の嫌いな余四男さんは奥様のご飯とお弁当が大好き。慎ましさというよりも、愛着のある味つけが好きなのでしょう。

私たち取材班にご馳走してくれた奥様の手料理。恥ずかしながらみんなお腹いっぱいになって余四男さんの話をお聞きしました。

山の幸を大切な人々と分かち合う喜び。余四男さんにとって労力の根源は人との関わりなのでしょう。ご自宅の居間で長いインタビューに快く応じてくれた菊池余四男さんに、愚問と思いつつも、最後にあらためてお尋ねしました。「どちらの仕事が楽しいですか」余四男さんは尋ねるな否やすぐに答えられました。「そりゃ今です。次の日が待ち遠しい。山がきれいですもん。毎日色が違う」若い頃一度は叶わなかった林業の仕事。それが七十歳を過ぎてできる喜び。大子町の山々の自然と、里の人々の笑顔に囲まれながら、今、菊地余四男さんは人生の錦秋を、その彩りに輝かせていました。

急な斜面で作業をする余四男さん。
晴れやかな空の下で、くったくのない笑顔がまぶしいです。

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